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コラム

大林 尚

第3章 苦難の支給開始年齢引き上げ~意地をみせた年金官僚 ➂ 引き上げ決定は敗戦から9年後

年金の支給開始年齢を引き上げる制度改革の歴史は意外に古い。厚生省の年金官僚が支給開始年齢を55歳から引き上げると決めたのは、敗戦から9年後の1954年(昭和29年)の年金改革のときだ。

当時の時代背景をみると、GHQ(連合国軍総司令部)の占領統治が終わったのが1952年、経済白書が結語に「もはや戦後ではない」とうたったのは1956年だった。戦後まもなくの経済混乱期、ハイパーインフレが物価を劇的に押し上げ、国民生活は窮乏した。その後の朝鮮戦争特需に助けられた日本経済は復興を遂げ、高度成長の60年代へ向け助走をはじめようとしていた。

54年の年金改革は、厚生年金の支給開始年齢について男性を対象に57年度から4年に1歳ずつ、60歳へ向けて引き上げるのが主眼だった。女性の支給開始年齢には手をつけず、55歳に据え置いた。

女性は賃金の水準や就業期間が男性よりも見劣りすることを根拠に、若くして年金をもらえることが正当化された。平均寿命が男性より長いことも55歳に据え置く理由の一つとされた。本来、長生きするぶん支給開始年齢は遅らせるのが筋だが、そうした理にかなった考え方はとられなかった。

「男性60歳・女性55歳」という昭和後期にかけての支給開始の標準形は、こうして固まった。もっとも省内には「これで一段落とはいかない」という声がくすぶっていた。女性をふくめ、一段の引き上げの必要性を年金官僚は提起しつづけた。

「男性65歳・女性60歳」への引き上げが議論の俎上に載り、社会保険審議会に諮問されたのは80年(昭和55年)の年金改革のときである。

これに激しく反発したのが経済界と労働組合団体だ。日経連は定年の引き上げが義務化されるのを極端におそれた。労組側には「65歳になるまでサラリーマンを働かせるのか」という感情的な反発が強かった。経営者、労組幹部とも「夫婦・子供2人の4人家族、妻は専業主婦」という昭和のモデル世帯を念頭においていた。

国共合作を思わせる労使団体の強硬な反対論に抗しきれず、年金官僚は支給開始年齢の引き上げに関する検討規定だけを関連法案に盛り込み、国会に提出した。「今は雌伏の時だが次期改革では実現させたい」という意図が検討規定には込められていた。

だが、これでは済まなかった。国会審議での法案修正を通じ、検討規定さえも削除されてしまったのである。自民党は経営側の意向を汲み取り、野党の多くは労組の支持をつなぎとめようとした結果だった。なにより、年金をもらう時期が逃げ水のように先延ばしになることに反感を抱く国民に、政治家が迎合した。

年金官僚は四面楚歌だった。寿命の急速な伸展、戦後第1次ベビーブーム期に生を受けた団塊世代の高齢化、少子化による負担世代の減少、日本経済の成長鈍化――など構造変化がもたらす日本の将来像を見すえれば、支給開始年齢の引き上げは避けて通れない選択肢だった。加えて、引き上げには早く着手することこそが将来世代が被るマイナスの影響を小さくする要諦であった。

心ある年金官僚はそのことを強く実感していたが、与野党の政治家と労使団体を説き伏せる力量はなかった。


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