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コラム

大林 尚

第3章 苦難の支給開始年齢引き上げ~意地をみせた年金官僚 ①波平さんは54歳

民間企業の勤め人が入る公的年金が日本に誕生したのは、1942年(昭和17年)だ。その名を「労働者年金保険」といった。対象は男性のみ。だが、なぜ戦中だったのか。それは、陸海軍の継戦力を維持するために東条英機内閣が編み出した戦費調達の有力な手段にほかならなかった。

当時、政府は戦時国債を乱発して国民から戦費を巻き上げていたが、それではとても足りない。そこで、国民の老後のためといいつつ、はなから軍事費に流用するために年金を制度化したのだ。

大政翼賛会が戦時国債を買わせようと、41年(昭和16年)に隣組を通じて配布した隣組読本『戦費と国債』にはQ&A形式のこんな記述がある。

  隣組読本『戦費と国債』(財制審資料から)

「国債がこんなに激増して財政が破綻する心配はないか」

「国債が沢山殖えても全部国民が消化する限り、すこしも心配は無いのです」

「国債は国家の借金、つまり国民全体の借金ですが、同時に国民が其の貸手でありますから、国が利子を支払ってもその金が国の外に出て行く訳でなく国内で広く国民の懐に入って行くのです」

それから85年の歳月が経過した。高市早苗首相が推し進める「責任ある積極財政」を支持する自民党議員のなかには、隣組読本の内容に似た主張をする者がいる。敗戦後、戦時国債が紙くずと化した史実を学んでほしい。

余談になるが、年金の保険料を年金給付以外のことに流用するのは、今昔を問わず制度に精通する政治家と年金官僚の習い性といってよい。高度成長期から平成時代にかけて、一部の自民党議員と年金官僚が「グリーピア」と名づけた大型のリゾート施設をせっせと全国に建設したのも、原資は年金保険料の積立金だった。大半の施設が赤字を垂れ流し、二束三文で投げ売りされた。

積立金を差配していた旧厚生省の年金福祉事業団(ネンプク)は、年金官僚の天下り先だった。その後ネンプクは解体され、特殊法人の年金資金運用基金を経て現在の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に衣替えされた。
話を戻そう。敗戦色が濃厚になった44年(昭和19年)、戦時政府は労働者年金保険を厚生年金保険と改称し、女性を対象に加えた。戦費調達がいよいよ抜き差しならならなくなったということであろう。この制度名が今につづいているわけだ。

当時の支給開始年齢は男女ともに55歳だった。55歳支給開始は57年(昭和32年)までつづく。その後、支給開始年齢の引き上げ対象になったのは男性だ。女性の引き上げがはじまるのは1987年(昭和62年)である。

55歳で年金がもらえると聞くと、うらやましい気がしないでもないが、55年(昭和30年)当時の平均寿命は男性が63歳代、女性は67歳代だ。平均的な日本人男性の年金受給期間は8年にすぎなかった。現行の支給開始年齢は65歳だが、男性の平均寿命は81歳代に延びている。65歳時点の平均余命は19年を超えた。終身支給が保証されている年金の受給期間は、日本人の長寿化にともなって延びつづけ、年金財政の安定性を脅かす要因になっている。

55歳支給開始当時の「寿命感」を如実に映し出しているのが、長谷川町子作の漫画『サザエさん』だ。主人公サザエさんの父、磯野波平さんの年齢は明治生まれの54歳というのが作中の設定である。

波平さんは山川商事という会社に勤めている。フジテレビ系列のアニメ番組をみれば、会社でデスクワークにいそしむ波平さんが会社帰りに一杯やって帰宅する場面が時おり登場する。昭和サラリーマンの典型像であろう。

  2013年3月5日付日本経済新聞から

4コマ漫画『サザエさん』は福岡県を中心とするブロック紙、西日本新聞社から独立したフクニチ新聞社の整理部長、牟田口宗一郎が長谷川町子に『夕刊フクニチ』紙上で連載するよう依頼したのがはじまりだった。開始は戦後まもなくの46年(昭和21年)4月。台詞はカタカナで書かれていた。その後、長谷川が東京・桜新町へ転居したために連載は一時中止された。

もともとサザエさんは独身という設定だったが、一時中止中にマスオさんと結婚したことになった。やがて連載を再開すると舞台は東京へ移り、マスオさんは磯野家に同居した。この3世代同居も戦後の家族像の一つだった。

当時、多くの日本企業は55歳定年制を採用していた。4コマ漫画もアニメも波平さんは永遠の54歳だが、このまま時をすすめるとすると、翌年には山川商事を定年退職して年金をもらいはじめ、8年ほどで天寿をまっとうする運命にあるわけだ。

木村拓哉さんはことし(2026年)54歳になるタレントの1人だ。波平さんの時代を思い起こせば、このごく短い期間に日本人がいかに若返ったかを痛感する。日本の年金制度もまた、日本人の若返りに歩調を合わせるべきなのは言うまでもなかろう。


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