年金の支給開始年齢の引き上げは、心ある年金官僚にとってまことにタフな制度改革だ。改革を主導した旧厚生省の吉原健二元事務次官とともに、実務に汗を流したのが年金局で数理課長をつとめた坪野剛司氏である。
坪野氏は支給開始年齢を引き上げる必要性を与野党の政治家に訴えると、判で押したように似たような反応が返ってくるのを経験した。「20年も先の話をどうしていま決める必要があるんだ」
坪野氏の答えは決まっていた。「20年先だからこそ、いまなんです」
支給開始年齢が上がれば、その対象になる高齢者は現役引退後の生活設計を変えることを余儀なくされる。厚生年金の加入者は勤め先を退職してから年金をもらいはじめるまで、無収入の「空白の期間」が生ずる可能性が高まる。
空白の期間を解消すべきだという声が高まれば、企業経営者は支給開始年齢に合わせて定年の引き上げを迫られる。しかし定年変更は人事政策上の重大な経営判断の一つだ。総人件費の上昇に直結し、そう簡単に決められるものではない。空白の期間を解消する責務が企業側だけにあるわけでもなかろう。

坪野剛司氏が監修した『年金制度の展望』(2017年刊、東洋経済新報社のサイトから)
支給開始年齢の引き上げは、このように個人、企業の双方に多大な影響をおよぼす。当時、坪野氏は慎重かつ入念に制度設計して時間をかけて実行に移す必要性を説くのに意を尽くしたが、理解を示す政治家は少数だった。
厚生省が引き上げを可能にする法案を国会に提出しようとしても事前審査で与党につぶされたり、提出できたとしても与野党が一丸となって成立を阻んだりする立法府の妨害行為が横行していた。
年金官僚もおのずと諦めモードにならざるを得ない。1985年の年金改革に際し、当時の山口新一郎年金局長は仕込みの段階で支給開始年齢の引き上げを改革のメニューから外す決断をした。省内で「年金の神様」の異名をとった山口氏だったが、政治家との衝突回避を最優先した。基礎年金制度の導入構想にマイナスの影響がおよぶのを懸念してのことだったとされる。
この結果、支給開始年齢の引き上げという最難題を除けば、年金に関する当座の主な政策課題はひと通り片付くことにはなった。
与党政治家の重い腰を上げさせるには、94年の年金改革まで待たねばならなかった。厄介なのは野党勢力だ。年金官僚らは野党の反対を封じようと、事前の審議会で議論を丁寧に進め、労組団体からも同意を取り付けていた。そのかいあって厚生年金の1階部分は男性が2001年度から、女性は06年度から、12年間をかけて65歳に引き上げる法案が成立をみた。
2階部分の65歳支給開始を決めたのは、それからさらに5年後の99年改革のときだ。心ある年金官僚が60歳から65歳への引き上げの必要性を最初に提起してから、じつに20年近くが経っていた。
