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コラム

大林 尚

第2章 砂上の皆年金制度 ➁ 四国遍路旅に出た菅直人氏

髪を五分刈りに切りつめ、遍路姿になった菅直人氏の写真が週刊誌のグラビア特集やスポーツ紙の芸能面に、大々的に載ったのは2004年の夏。この人らしい政治パフォーマンスだった。

中川昭一経済産業相、石破茂防衛庁長官、麻生太郎総務相――。小泉純一郎政権の3閣僚を「未納3兄弟」とこき下ろした菅氏自身が、国民年金の保険料を払っていなかった事実が明るみに出たのは04年4月28日。不払いをしていた時期は、年金制度に対する最高責任者である厚相の任にあったときだった。

これほどの出鱈目、茶番もあるまい。4月29日付の日本経済新聞政治面はこう伝えている。

菅氏は党代表の座から降りるべきだという声が、与党のみならず民主党内や同党の強力サポーターである連合首脳からも噴出した。ところが、地位に恋々とするのがこの人である。折しも開会中の国会で審議をしていた年金制度改革法案に対する国民の評判は芳しくない。「いまの政治状況を利用すれば民主党は小泉首相から政権を奪還できる。そのとき自分は首相だ」とでも考えていたのかもしれない。

厚相時代に不払いだったという問題の重大さを考えるまでもなく、議員辞職に相当する大失態である。にもかかわらず菅氏は言い訳行脚をつづいた。5月の大型連休明けの日曜日には民放テレビ4局の番組をはしごして「説明責任」という名の釈明に明け暮れた。自らの進退には触れなかった。

使えるものは家族も使った。これに先立つ7日、東京・武蔵野市内で記者会見した妻の伸子氏にこう言わせた。「武蔵野市役所から言われたとおりに国民年金の離脱届を申請したら無年金になった。未納といわれるが払いようがない状態だった」。厚相が不払いだった言い訳には、まったくなっていない。年金のことは妻にまかせていたとでも言いたげだが、すべては自己責任である。だしに使われた武蔵野市長や市の担当職員にしてみれば、いいとばっちりだ。

すったもんだの末に菅氏が民主党代表を辞めると表明した場は10日夕、永田町の党本部で開いた両院議員懇談会だった。「国民の不信感を高めたことを心からおわびする。私の責任はきわめて大きい……」

じつは、年金未納ドミノは自民・公明両与党にも起きていた。未納3兄弟以外にも現職閣僚や閣僚経験者、また党役員にも多数、未加入や不払いが表面化した。その1人である福田康夫氏は責任をみとめて5月7日の記者会見で官房長官を辞すると発表した。

これが菅氏を辞任に追い込んだ決め手になった可能性はある。小泉首相はほかの未納6閣僚には辞任を踏みとどまらせた。7人すべてが辞めていたら政権は瓦解していた。政府・与党が負った傷も深かった。

さて、菅氏の四国遍路パフォーマンスである。厚相としての年金未納を心から悔いたなら週刊誌に写真など撮らせず、人知れず黙々と八十八か所を巡礼すればよい。滝に打たれて身を清めるべきである。

菅総理就任を伝える2010年9月18日の日経電子版から抜粋

民主党は09年の総選挙で自公両党から政権奪取し、翌10年に菅氏は首相に就いた。同党はマニフェスト(政権公約)の重点政策として消費税を財源とする最低保証年金の創設など制度の抜本改革を掲げていた。この改革案は無年金・低年金の高齢者を出さぬようにするとともに、保険料の未納を防ぐ対策としてきわめて有効だ。しかし菅首相は改革に手をつけようとしなかった。

市民目線の政治家として、政権奪取時は省益に固執する霞が関の官僚機構に対峙するかまえをみせてはいたが、長くはつづかなかった。首相在任中は東日本大震災に見舞われ、大津波で壊滅した被災地の復旧・復興と福島第一原発の事故対応に追われた。しかし、それは年金改革をスルーした理由にはなるまい。その程度の政治家だった。


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