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コラム

大林 尚

第1章 2004年改革の本質 ➂ マクロ経済スライドの誕生(その1)

➂ マクロ経済スライドの誕生(その1)

2026年(令和8年)は日本の政治史に深く刻まれる年になった。高市早苗首相率いる自民党が2月8日に投票された衆院選で、定数465議席のうち316議席を獲得したのだ。石破茂前首相のもとで戦った前回24年10月の衆院選での獲得議席は191であった。首相就任から4カ月もたたない高市氏は、自民党をかつてなく強靭に再生した。

したいことを自在に実現できる政治権力を手中にした首相だが、4月には一つ目の難関が待ち受ける。年金額の改定だ。厚生労働省は厚生年金の給付額を2.0%引き上げ、平均的な受給者の年金額は月10万6800円程度になる。他方、消費者物価の上昇幅は3.2%(2025年)と、年金の引き上げ幅よりも1.2ポイント高い。

「物価を上回る賃金引き上げを」はいまや労働界・経済界だけでなく、政治の世界の合言葉にもなっている。だが年金受給者にとっては、物価情勢に連動して自動的に年金額が増える仕組みは過去のものになった。その背景を知るために、2004年の年金制度改革で小泉純一郎政権が取り入れた「マクロ経済スライド」の何たるかを解き明かしてゆこう。

04年6月3日の参院厚生労働委員会。答弁に立った小泉首相は「それはね、専門家に聞いてください。専門家に……」と、いささかむきになって言い放った。

公式の議事録には「発言する者多し」というかっこ書きがついている。大勢の野党議員が野次を飛ばし、速記者が首相のことばの語尾を聞き取れなかった可能性がある。

「専門家に……」は、民主党の山本孝史参院議員(故人)とのやり取りのなかで飛び出した。山本氏は2004年の年金制度改革の目玉として厚労省が導入をもくろんでいた「マクロ経済スライド」のしくみについて、質問していた。その様子を敬称略で端折って再現してみよう。

山本「マクロ経済スライドは、実はどう説明すればいいのかといえば、これから先、物価が上がっても年金はまったくかわりません、あなたの受け取る年金は15年間まったく同じ金額ですと、こう言うほうが実は正しいんですよ。総理はそのことをご存じでしたか」

小泉「物価スライドというのはあるんです。(後略)」

山本「3回、厚相をおやりになって大臣のときに年金改正があったか、ちょっと記憶にないんですが、(略)いま口にされた物価スライドとマクロ経済スライドは同じ意味ですか、違いますか」

小泉「経済全体のマクロ的な観点から言えば、年金とは違いますよ、それは」

山本「違うんです。これは厚生省が巧妙なんです。総理もそうだと思うんです。みなさん、最初は物価スライドとか賃金スライドと同じものだと思ったんです。でもまったく意味が違うんです。ちょっと時計を止めていただいて、総理にまずそのことを理解してもらってください」

小泉「それはいま違うといま言ったでしょう。いま違うと答弁したでしょう、違うと(野党議員の野次多数)」

山本「すみません、だからどう違うかを総理はどう理解しておられるか。恐れ入ります、ご自分の言葉で……」

応酬の果てに飛び出したのが、小泉氏の「専門家に……」であった。こうして議事録を読み返すと、小泉氏はマクロ経済スライドと物価スライドは別物だという認識はもっていたが、マクロ経済スライドは年金制度とは無関係のマクロ経済に関する概念だと思い違いしていたフシがある。だから(マクロ経済の)専門家に聞いて、と口走ったのであろう。

民主党はこの国会に政府が提出した年金制度改革法案に猛然と反対し、廃案にすべきだと主張していた。その根拠に挙げたのがマクロ経済スライドだった。山本氏の質問にあるように、厚労省の年金官僚は消費者物価の上昇に連動して受給額が増える物価スライドをやめ、物価や現役世代の賃金の上昇率よりも年金の引き上げ幅を低く抑えるマクロ経済スライドを導入しようとしていた。民主党をはじめとする野党勢は年金の実質的な価値を下げることになるこのやり方が許せなかったのだ。

共産党もマクロ経済スライドを糾弾していた。山本氏の首相への追及を同党の機関紙「しんぶん赤旗」は、こう伝えている。「政府が年金改悪法案の中心ポイントにした『マクロ経済スライド』について、法案提出の最高責任者である小泉首相自身まったく知らなかった――」「首相答弁のでたらめぶりが改めて発覚し、委員会室は騒然となりました」(2004年6月3日付電子版から)

のちに、厚労省のある幹部が「マクロ経済スライドっていうネーミングは誰が考えついたのだろう。年金の実質価値の切り下げを意味するとは、わからないよね」と語ったことがある。公的年金の実受給権者数は25年3月末時点で4000万人弱。このうち何割の人がマクロ経済スライドのしくみをわかっているのだろうか。


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