超党派年金制度改革データベース

menu

PAGE TO TOP

コラム

大林 尚

第1章 2004年改革の本質 ② 財務官僚の手練手管

② 財務官僚の手練手管

地球上を「ドンロー主義」なる新語が飛び交っている。

話は19世紀前半にさかのぼる。第5代米大統領ジェームズ・モンローは米議会での年次教書演説で「南北アメリカ大陸への欧州の干渉はゆるさず。欧州大陸の紛争は欧州諸国でケリをつけよ」という趣旨の宣言をし、米欧の相互不干渉をモンロー主義というようになった。

モンロー主義をもじって西半球の安全保障と地政学に対し異様に強い関心を抱くトランプ大統領の「米国のやり方に口を出すな」式の流儀を、俗にドンロー主義と呼ぶようになった。

じつは、モンロー主義は日本の制度・政策にも存在していた。「年金モンロー主義」である。旧厚生省の時代から、年金官僚は将来の高齢化に合わせて年金財政のつじつまを合わせることに腐心し、ときどきの経済情勢や財政・税制との関係を顧みることがほとんどなかったのを揶揄した言葉だ。他省庁や厚生省(厚生労働省)のほかの局は年金制度改革に口を出すな、と言い換えてもよい。

1990年代、経済企画庁(現在の内閣府の経済財政部局)が年次経済報告(経済白書)に年金財政の分析を掲載しようとして執筆責任者の内国調査一課長が厚生省年金局の担当課長に関連データの提供を要請したことがあった。だが年金局側はデータを一切出さなかった。官庁エコノミストによる客観的な分析を拒んだ年金官僚は年金モンロー主義の好例であろう。

時代がくだり、年金モンロー主義に終焉をもたらしたのは財務官僚だった。2004年の年金改革を前に財務省独自の制度改革を立案し、世に問うた。

その肝は、すでに年金をもらっている高齢者への支給額を一律4%減らすというものだ。当時の日本経済は物価、賃金、個人消費が三拍子そろって下がるデフレのただ中にあった。財務官僚は税財源を元手に、国庫から基礎年金に拠出する資金を抑えるために、物価下落分に加えて個人消費の減少分を年金支給額に反映させるべきだと唱えた。

第3号被保険者の費用負担

時の首相は小泉純一郎氏。首相が議長を務め、竹中平蔵経済財政相が進行を切り盛りする官邸の経済財政諮問会議は、税・財政だけでなく社会保障の改革にも強い影響力をおよぼしていた。財務官僚はこの年金削減案を諮問会議に持ち込み、年金モンロー主義を打ち砕こうとした。

財務省案が実現した場合、当時の厚生年金モデル夫婦世帯(夫は40年加入、妻は第三号被保険者)の受給額は月額23万6000円から22万6600円に減る。さらに高額な受給者に対しては、削減幅をもっと大きくすべきだというのが財務官僚の考え方だった。

当時は塩川正十郎財務相が「年金3割カット」と口にするなど、財務省を挙げて年金削減に向けた地ならしをしていた。彼らにとって厄介だったのは、年金の受給年齢に達した人がいったんもらい始めた年金を政府が減額するのは、憲法29条にさだめる財産権の侵害にあたるという通説だった。

財務官僚は手練手管を駆使してこれを打ち破ろうとした。一方、違憲と主張する年金受給者らが行政訴訟を起こした場合、矢面に立つのは厚労省である。この事態をおそれた年金官僚は、受給者が受け取る年金について超長期の年月をかけてゆるやかに減らしてゆく案を打ち出した。
受給者への年金削減をめぐる憲法論争はそれ以前にもあった。

2001年、民主党(当時)の鉢呂吉雄衆院議員が出した質問主意書に対し、森喜朗首相が綿貫衆院議長に宛てた答弁書にこんな趣旨が書かれている。
① 公的年金における既裁定の年金受給権は金銭給付を受ける権利だから憲法に規定する財産権にあたる
② 財産権といえども、公共の福祉を実現するために必要がある場合などは、法律で制約しても違憲ではない

年金の財源は主に現役世代が負担する保険料と税で賄っている。旧厚生省はそれまで、これから年金をもらいはじめる現役世代や将来世代の受給額をその上の世代との比較で減らして、つじつまを合わせる手法を用いてきた。年金の支給開始年齢を原則60歳から65歳に引き上げたのが典型だ。

他方、現役世代の保険料引き上げも画策していた。これらのみであれば、負担・給付の両面で高齢世代との世代間格差を拡大させる。そこで、受給世代の年金減らしにも手をつけるべきではないか、という考え方を財務省発で徐々に浸透させていったのが2004年改革の実相だった。

これは「マクロ経済スライド」という年金改革史上、画期的なしくみとして結実する。軍配は財務官僚に上がったが、一方でマクロ経済スライドには致命的な欠陥があった。


コラム一覧へ